[肩を並べて In Spring //5]
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「橋立さん、いる?」
 放課後の教室に残っている人間なんて二種類しかいない。用事のある友人を待っているか、時間つぶしか。
 橋立悠那は後者だった。
「本田君?」
 息を切らした長身の男子は息を切らしながらヒサナの前の席に座った。
「図書館行ったらいなかったから、こっちかなって」
 教室に自分しか残ってなくてよかった、とヒサナは密かに思った。もし誰か残っていたら、きっと明日には内進クラスの中で噂になっていただろう。それは自分の望むところではない。目の前の男子にとってもそうだろう。
 ヒサナは小学生時代に彼に告白され、手酷くつっぱねている。けして後悔していないし間違っていたとも思わないが、いまだ引きずっているらしい彼の傷口に塩を塗るようなことはしてほしくないと思うくらいには、彼女は彼を好ましく思っていた。
「どうした? アキなら部活だけど」
「いや、よかったら一緒に帰らないかなって思って」
「……」
 ヒサナは口にくわえていた棒つきキャンディーを口内でくるりと回した。
「どうして?」
「駅前のたこ焼き屋行かない? おごるから」
「友達でも誘ったら? 私に声を掛ける必要はないよね」
「でも橋立さん今日はヒマでしょ?」
 ヒサナは黙った。確かにヒマだ。月曜日と木曜日は茶道部、火曜日は図書委員会の班会議、金曜日は華道部の活動があるが水曜日の放課後は月一で全校集会が入るので用事を入れていない。今日は集会もなく六時間授業が終わり七時間目のLHR中に掃除も終わってしまったので本当に何もない。声を掛けたのがタカオ以外の誰かだったら、きっとついて行っただろう。
「わかった、たこ焼きは諦めるから。ちょっと相談乗って」
「何? 恋愛以外なら受け付けるけど」
 今度はタカオが黙り、ヒサナは焦った。
「え、えーと、そのー」
「……ヒサナはさ、彼氏作らないの?」
 タカオは椅子の背もたれに両手を乗せてヒサナを見つめた。
「小学生の頃も中学の時も、彼氏ができたって話聞いたことないんだけど。どうして?」
「どうしてって……」
 ヒサナは視線に耐え切れずにタカオの手を見た。緑がかった紺の学ランからはみ出した白いワイシャツの袖口をただただ見つめる。
「ずっと訊きたかったんだけどさ、どうして俺をフったの?」
「それは……」
「俺はいまでもヒサナが好きだよ」
 心臓が大きな音を立てたことにヒサナは驚いた。
「三年も離れてたのに?」
「そういうのってあんまり関係ないよ。ヒサナは俺が変わったと思う?」
「変わったよ」
 音を立てて席を立ち、ヒサナは言う。
「変わった。本田君はもっと優しい人だと思ってた」
「……どういう」
「早苗のこと、フったんだって?」
 タカオはヒサナを見た。
「……あいつが言ってたこと、本当なのか? ヒサナが譲ったって」
 わたしね、本田君が好きなの。ね、おうえんしてくれるよね。
 小学校時代の友人の声がよみがえり、ヒサナは鼻で笑って応える。
「譲った? 別に本田君は私のものじゃない」
「けど」
「そういうの、嫌なんだよね」
 吐き捨てるように、言った。
「別に本田君のことを嫌いなわけじゃない。でもフった。私は早苗が本田君のことを好きなのを知ってたから」
「俺はヒサナに振られても片瀬さんと付き合おうとは思えないよ。片瀬さんだって、ヒサナは俺と付き合っているんだと思ってたって言ってたよ」
 それは嘘だとヒサナは知っていたけれど何も言わなかった。ヒサナがタカオをフった翌日からヒサナを悪女に仕立て上げた本人が、それを知らないわけがない。お陰で中学受験に弾みがついたけど。
「もう片瀬さんとは絶縁状態なんだって聞いたし。片瀬さんのこと気にしなくても」
「嫌なモンは嫌なの」
 言葉の途中で飴を噛み砕いてしまい、ヒサナは口を押さえた。
「だ、大丈夫?」
「……とにかく、付き合うとか嫌だから」
 荷物を持って教室を出ようとしたヒサナの腕をタカオが掴む。
「じゃ、メル友になってよ」
「メル友?」
 どこから取り出したのか黒い携帯電話を持ったタカオにヒサナはため息をついた。
「それじゃ、アドレス教えるから相談事はメールにして」
「いや、これからたこ焼き屋で」
「まだ諦めてなかったわけ」
「たこ焼きぐらい付き合ってよ」
「嫌よモテる人と二人でたこ焼きなんて」
「モテる?」
 タカオは首を傾げた。しまったと思いつつうなずく。
「……知らなかったの? あなたメノウ君と同じくらいモテてるのよ」
 ますます首を傾げつつ、タカオはメールアドレスをヒサナの白い携帯電話に送った。
「メルアド知ってるなんて知られたら、多分締められるね」
 アドレスを送り返しながら言うと、タカオは嬉しそうに笑った。
「俺も、クラスのやつらにヒサナのケー番知ってるって言ったら殺されるわ」
 ヒサナは固まった。
「ケー番?」
「うん。送ってくれたじゃん」
「今すぐ削除しろ!」
「へー、ヒサナもS社のなんだ。じゃ、九時まで通話無料だね」
「掛けてくるな!」
「ヒサナが掛けてくれるの?」
 タカオはにこりと笑った。ヒサナは思わず目をそらす。小学生の時から、ヒサナはこの笑顔に実は弱かった。告白の時に必殺技を使われていたら、断れていた自信がない。
「う…あの……。用事があれば」
「わかった。楽しみにしてる」
 ヒサナはため息をついた。確かにこの三年間、何も変わってないかもしれない。
 ヒサナはゆっくりと言った。
「わかりました。たこ焼き屋に行きます。…ワリカンで」

2008.03.13


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