[肩を並べて In Spring //9]
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まさか今になってあのことを思い出すことになるとは思わなかった。
「水島さん!」
帰宅しようしたところを廊下で呼び止められ、ルキはまばたきをした。
「何でしょうか」
茶色がかった髪をあごの下でそろえた可愛らしい印象の少女はにっこりと笑って忌まわしい過去に繋がる言葉を放つ。
「わたし音楽部なんだけどね、ピアノの先輩が受験で抜けるから一年生探してて。顧問の先生がね、水島さんはお姉さんがピアノ上手で弾けるから、是非入って欲しいって。勧誘してって頼まれたの。あの、どうかな?」
「あ…の」
思わず一歩下がった。ピアノ。白く長い指の舞う白と黒のフロア。ドビュッシー。黒いグランドピアノ。微笑む二人の……。
「ご…め」
ぎこちなく笑おうとしたルキの腕を何者かが掴んだ。
「水島」
「え……」
見知らぬ男子生徒がルキの目を捉える。
「水島瑪瑙が呼んでる。……悪い、ちょっと後にして」
「え、あの」
「高塚さーん。ちょっといい?」
タイミング良く少女も呼ばれたようで、「じゃ、考えてみてね」と去っていった。
「えっと…」
少女が離れると、男子生徒もルキの腕を放す。
「俺はA組の速見良治。……悪いな、急に」
「いえ、あの……助かりました。……メノウが呼んでるって嘘なんでしょ?」
「まぁな」
少年はにやりと笑った。浅黒い肌に白い歯が映えて爽やかな印象になる。
「水島さーん」
先程少女を呼び止めた人物がぱたぱたと足音を立てながら近寄ってきた。
「ごめんなさい。私速見君と同じクラスの桜田加奈(さくらだ・かな)」
こちらは黒髪をあごの下でそろえた日本人形のような少女だ。
「その……私の姉はここの卒業生なんだけど、あなたのお姉さんと大学の友達で。前に先生に麻里亜さんのことを話したみたいなの。珍しい名前の妹がいるって」
すまなそうに言う少女に、ルキは納得した。
「先生は、お姉ちゃんのこと……」
「ええ……亡くなったこと、知らないの。今日ちょうど先生にお会いしたらその話が出て……先生びっくりしてた」
カナは目を伏せて下を向いたルキの手を取った。労わるように握られた手に、ルキは顔を上げる。
「さっきの女の子……C組の高塚さんには私が断っておくよ。先生も事情を知ったら頼めないって言ってたし」
「……お願いしていい?」
「もちろん! でね、良かったら……今度私の家に遊びに来て。桜田薫って覚えてる? お姉ちゃんが、また会いたいって言ってて」
懐かしさに少し顔がほころぶ。姉といつも明るい姉御肌の薫はとても親しくしており、ルキも何度か映画に連れていってもらったことがあった。
「私も水島さんと仲良くしたいなって思ってたし」
薫とよく似た笑顔につられてルキも微笑む。
「うん。是非」
「やった! じゃ、これ私の携帯のアドレスだから。いつでもメールして」
「ありがとう」
走り書きされたメモをぎゅっと握り締める。
「それじゃ! あ、速見君もありがと」
「いや。俺も水島に用あったし」
「ふぅん。……水島さん、気をつけなよ。速見君は手が早いって噂だから」
「え?」
「いいから早く行けよ。仕事、残ってるんだろ?」
「あ、そうだった。じゃあね!」
走り去るカナを見送って、ルキはリョウジに向き直った。
「用って?」
「水島ってさ、付き合ってるヤツいるの?」
ルキは眉を寄せてリョウジを睨む。
「……どうしてそんなこと答えなきゃいけないの?」
「水島ってさ、俺の好みのタイプなんだよな。おとなしそうなのに気が強くて、おまけに美人」
黒くなめらかな髪を一房すくい取ったリョウジの手をルキは払いのける。
「彼氏ならいるわ。おあいにくさま」
「いるならいるでますます燃えるね。でも、遠くの親戚より近くの他人っていうからな。相手がどんなにいい男だって、俺になびく可能性は大いにあるね」
「無闇に己惚れないで」
「いつも一人で帰ってるよな。J線夕が丘駅西口のマンションだろ?」
「ストーカー?」
ルキは顔をしかめた。
「そっちこそ己惚れんなよ。うちの隣なんだよ」
「ああ、あの一軒家」
「一緒に帰ろう」
「なんで? 部活は?」
「今日からテスト休み。拒否っても無駄だから」
「……好きにすれば」
深くため息をついてルキは昇降口へ向かった。
2008.03.24
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