[肩を並べて In Spring //7]
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 取り返しのつかないことをしたという自覚はあった。
 目を閉じてから大きく振りかぶった手が頬を打つまで、甘い夢を見ているようだった。
 あのまま振り払われなかったら、彼女の唇を奪っていただろう。
「何をやっているんだ……」
 ひとり残された廊下で、タカオは頭を抱えた。
 人気のない廊下までヒサナを連れてくるまではよかった。冷静に話し合えば解決する問題だと思っていたのに、ヒサナは頑なに距離を保った。平行線をたどる会話に、ついに彼女は言った。
「大体、本田君が私に絡むのはただ単にフられたのが悔しかったからでしょ?」
 うつむいた彼女は両手を握りしめて絞り出すように言葉を続ける。
「フられて、その理由が自分じゃないところにあったから、取り戻せると思ったから。そうでしょ?」
「……違う」
「違わないよ。じゃぁ今更この話を蒸し返したのはなんで? 私は引っ越してないし、同じ町内に住んでた。連絡を取ろうと思えば取れたのに、高校で再会するまで忘れてたんでしょ?」
「忘れたことなんかなかった!」
「それなら、高校に入っても女の子たちに言い寄られるのが面倒で、適当なところで手を打っておこうっていう算段? 私なら簡単に言うことを聞きそうだから?」
 きつく握りしめられた手の方が雄弁だった。いつもそうだ。彼女は優しい。どんなきついことを言っていても、彼女は決して相手を傷つけようとしているわけではない。きっと相手を傷つけるよりも自分が傷ついて、誰にも知られない場所で泣いているのだろう。
 その言葉を止めたくて言っただけだった。
「……そんな事言うと…ふさぐよ?」
 言った途端、言葉に支配されたように体が動いた。
 逃げるように引いたその肩をつかんで、いつもは棒付きキャンディーをくわえている唇が薄く開いているのを見る。
 左頬に衝撃を感じたのはその時だった。
 瞬きの後、目に映ったのは右手を抱きしめるようにして立っている彼女だった。唇をかみしめ、何も言わず走り去った彼女を追いかけようとして、視界の中にメノウが立っているのに気づいた。
「タカちゃん……」
 ゆっくりと首を振ってみせるメノウに、タカオはうなだれた。
「ごめん」
「謝る相手が違うだろ」
「わかってる……」
「わかってないって」
 嘆息してタカオの肩を叩く。
「おまえ、この頃変だよ。こんなに急ぐなんておまえらしくないって」
「そうかな」
 弱々しく笑って、タカオは目を閉じた。
「そうだね。やっぱり、彼女は特別だからかな」
 予鈴に促されるように二人は無言で教室に向かった。

2009.05.03


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