● 道は迷わせるためにあるのだ。 目の前にいくつもの選択肢がある。 それはさながら十字路の真ん中に立ったような感覚。 道は迷わせるためにあるのだ。 とは言っても、いつまでも迷っているわけにはいかない。 「なぁおまえどうすんの?」 透がミルクコーヒーのペットボトルをゴミ箱に捨てながら言った。二月の半ば、まだ太陽が地平線の上に見えるが風が冷たい。 いつも利用する駅の西口側にあるコンビニで買ったハムサンドを頬張りながら俺はうつむく。 本命としていた私立大学の個別試験が終わり、あとは結果を待つだけ。問題は解けたと思うが受験は自分ができたかどうかで結果が決まるわけではないという担任の言葉が頭をよぎる。相手よりもいいパスを回し、ゴールを多く入れなければならない。サッカーのゲームならその場で相手の動きが見えるが、この場合は相手が見えないPK戦をしているみたいだ。心理戦が得意とは言えない俺にはキツい。 「本命受かったらもちろんそこに行くんだろうけど……国立、どうすんの?」 二年の後半から何があったのか急に成績が上がり始めた透は、名のある私大にいくつも合格し、最終的にそのうちのひとつに入学を決めた。 私大一本でやってきた透とは違い、俺は三年になってもまだ国立大を諦めきれず、結局センター試験は国立型で受けた。私大をセンター利用で受けるほどの点数ではなかったが、志望していた国立大にはぎりぎりで出願できるくらいの点数だった。両親の希望もあって出願の書類は提出したが、個別試験の前に本命とする私大の合格発表がある。 「正直、合格したってわかったら勉強したくなくなりそうで怖い」 「でもその大学ってサトさんが行ってる大学なんだろ?」 三年前に出会って二年前から付き合っている彼女の名前が出て、俺は落ち着くために水でハムサンドを胃に流し込んだ。 自宅から大学に通うサトさんはこの一年間貴重な週末を削って俺の勉強を見てくれた。でも彼女に本当の志望校は言えなかったから、ずっと「国立も考えているけど本命は私立」と言い続けてきた。こだわるのがおかしいとわかってはいるが、サトさんが入学した学部の偏差値が俺の偏差値より10くらい上だということが引っかかっていた。試合に出なければ負けたことにならないなんて、一番かっこ悪いとわかっているのだが。 黙り込んだ俺に透はため息をついて地面に置いていた書類ケースを持ちあげる。 「おまえさー、一昨年の秋のこと、覚えてる?」 「何?」 「サトさんがうちの校門前でおまえに抱きついた時のこと」 もう一口飲もうとしていた水が気管に入ってむせた。 「あの時さー、俺、おまえに負けたなーって思ったんだよね」 突然の言葉の真意を測りかねて俺はまじまじと友人の横顔を見る。 「高校に入ってからてきとーにやってたからそれなりの成績だったけど、周りのやつやおまえと大して変わらなかったし、おまえはサッカー部でレギュラーだったからそれで楽しそうだったけど、俺はゲーセン行ったり家でゲームしたり、学校でおまえらと馬鹿やるのが楽しいからそれでいいと思ってた。でもさ、それっていつか終わることじゃん。その先を考えるのは、その時が来た時でいいと思ってたんだよな。おまえも、周りのやつらも同じ考えだってずっと信じ込んでた。 なのにおまえさ、あの時言ったじゃん。『サトさんが本命の大学に受かったら、自分も本当は行きたいと思ってた大学を目指す』って。しかも出た名前がM大だし、周りにいた同じ学年のやつら皆すごい驚いた顔でおまえのこと見てたぞ」 俺らの通う高校はサトさんの高校よりはレベルが低いから、その大学に受かるのは全校の中でも上位三十名の中に入るくらいの成績のやつでも難しいくらいだ。別段成績が良かったわけでない俺にはかなり高いハードルだったけれど、推薦入試で見事合格したサトさんが応援してくれたお陰で、成績はぐんぐん伸びた。透ほどは伸びなかったが。 「しかもさ、その後よく話聞いたらただの思い付きで言ったにしては入試科目とか詳しいし、こいつはちゃんと先のこと考えてたんだなって思ったらなんかすごい悔しくてさ……。でもそれから将来のこと考えるとか無理だし、とりあえず勉強してみて、それから考えることにしたんだ。……持ってたゲームも本も全部売ったから、おまえに漫画貸してって言われた時貸せなかった」 あんなに執着してたのに、そこまでするほど自分が透に影響を与えたということなのか。 「まぁ、そんなこんなで久しぶりに必死になってみたらやりたいことも見つかったし、俺は……なんていうかさ、良仁に諦めてほしくないんだよ。M大もいいけどさ、本当はサトさんの行ってる大学行きたいんだろ? おまえいつもあの学校のパンフレット持ち歩いてるし」 なんでそんなこと知ってるんだよ。むしろこっちの方が負けた気になってきた。 「あと二週間くらいあるんだっけ? 最後にあがいてみてもいんじゃね? PK戦くらいには持ち込めるかもしれないしさ」 じゃ、俺帰るわ、とバス停に向かう友人の背中に「おー」と応えて、駅へと向かう。ちらりと見えた耳が真っ赤になっていたから、今頃バスの中で柄にもないことを言ったと頭を抱える友人が容易に想像できて苦笑した。今度会ったらミルクコーヒーをおごることを決めて、改札を通る。 電車の中でサトさんに会わないことに慣れ、私服姿のサトさんに慣れ、状況の変化に少しずつ流されても、自分を変えずにいることはできる。例えばサトさんに告白した時の気持ちとか。 絶対に、このままなんの繋がりもないまま別れたくないと思った。 その気持ちから始まって、今も俺とサトさんは繋がってる。少しずつ変わっても、そのことは変わらずここにあって。 でもそれだけじゃ満足できなくて。 『サトさんが本命の大学に受かったら、俺も本当は行きたいけど無理だと思ってたところを志望校にするから』 サトさんの口からその学校の話が出た時からずっと気になっていて、模試の判定に名前を書いたりしていた。途中からサトさんが関係なくても行きたいと思うようになって、でもただの夢だと見切りをつけていた。 どうする? 「ヨーシ君っ」 「うわぁっ!」 人気のないプラットホームで俺に背後から抱きついたのは……俺が今でも憧れる人。高校時代と違うのは色つきのリップだけだけど、制服でなくなっただけで格段に大人っぽく見える。 「ど、どうしてここにいるのサトさん」 「昨日で私大の試験終わったんでしょ? いつもこの時間に帰るって言ってたから」 一緒に帰ろう、と体を放して手を繋ぐ。ぎゅっと握られた手の先から温かさが伝わってなんだか鼻の奥がつんとした。 ゆっくりとプラットホームに入ってきた電車にいつかと同じように乗り込み、車窓から見える夕日を黙って眺める。 ドアが閉まってからも黙って流れる景色を見ていると、肩にサトさんのぬくもりを感じた。 「……このまま、ずっと電車が止まらなかったらいいのに」 聞こえた小さなつぶやきが体に染み込んで、俺は自分の降りる駅まで動けなかった。 そして俺は、目の前に見える道を進んだ。
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