● 貴方専用攻略本。 今一番欲しいものは? ってヨシ君に訊かれたら、多分ひとつだけ? って訊き返すと思う。 二つ言っていいなら、私は即答できる。 第一志望の合格通知と、貴方専用攻略本。 「なぁに、また喧嘩したの?」 穂奈子ちゃんはにやにやと笑いながらトレーを私の隣りに置いた。 テストが終わって一週間が経って、私はまだヨシ君と会えていない。自分の経験上この時期から二年生も忙しくなることはわかっていたけれど、まさか喧嘩別れみたいなまま迎えることになるとは思っていなかったから不安になる。 「里子のとこ、全然喧嘩しないもんねー」 「なによう、心配してくれてるんじゃないの?」 「ふふっ、他人の不幸は蜜の味、てね」 茶化して言うけれど、彼女が私のことを心配して寄り道を提案してくれたことに私は気付いていた。 彼女は校内推薦枠をとることがほぼ確定している。羨ましくないと言ったら嘘になるけど、でも、穂奈子ちゃんは穂奈子ちゃんで、私は私だ。むしろこんな時期に他人の悩みを聞いてくれる人がいることが心強い。 「向こうだってきっと今頃悩んでるよ。里子の方が今は忙しいんだから、こっちから歩み寄らないと」 「うん……」 いつものお店のいつもの席から通学路を見下ろすと、なんだかそこがとても遠い場所になった気がした。こうしている間にも時間は過ぎゆき、彼と私の間は広がっていくように思える。 「負担じゃないかって訊かれたんでしょ? 違うってすぐ言ってあげればよかったのに。今からでも会って言ってきたら? 勉強が手につかないとまでいかなくても、やっぱりもやもやするんじゃない?」 「うん……そうかも。なんか上手く眠れないし」 推薦入試が近付いていることもあって、少しづつ睡眠時間が減っている上に夢見が悪くすっきりしない。 会いたいな、と思う。優しい笑顔は私を確かに癒してくれていた。自分を肯定してくれる人がいることはとても心地よいことだけれど、そうじゃなくて……彼という存在が私の隣りにいることで、私は幸せを感じていた。 「でもね、すぐ言えなかったのはやっぱり、私の方が彼の負担なんじゃないかと思ったからなんだよ。なんか、間違ってるってわかってるんだけど」 「負担に思ってたら別れようっていうでしょ」 穂奈子ちゃんは自分のドーナツを一口大にちぎって私の口に入れた。甘いシロップの味が口の中に広がる。 「向こうから告白してきたとはいえ、別れたいなら『受験』っていう免罪符があるんだからそんな遠回しな言い方しないで別れようって話になると思うよ。そうじゃないってことは向こうは多少なりとも『別れたくない』って思ってるんじゃないの?」 「……そうかなぁ」 「むしろそんなセリフ言わせた里子が悪い。ちゃんと謝ってきなさい」 「ううう……」 私の口にもう一口ドーナツを押し込まれる。 「本当はわかってるんでしょ。早く言っといで。ぐずぐずしてたら受かるもんも逃しちゃうよ」 「穂奈子ちゃんに言われるとなぁ」 「私より成績良い癖に何言ってるの。国立の推薦なんだからわたしより大変なのは当たり前。全力出さなきゃ他の人に対しても失礼でしょ」 「……うん」 さっきまで開いていた手に馴染んだ単語帳をめくると、ページの端に描かれたヨシ君の落書きが見えた。 「……あれ? これ……」 数枚にしか描かれていないと思っていたのに、結構な枚数の同じ場所に同じような絵が描かれている。 試しに最初のページから順にパラパラとページを繰ると、アニメーションのように絵が動いた。 「パラパラ漫画とか……受験生の参考書に描くか……やるなあ。今まで気づかないっていうのもすごいけど」 それはだるまが一生懸命に坂を登るストーリーで、頂上に辿りついただるまは両目に墨が入ってにっこりと笑った。 だるまの横にはふきだしが用意されているけれど、その中には何も書かれていない。 「……穂奈子ちゃん、今何時かな」 「まだ五時になってないよ」 私は手をつけていなかったオレンジジュースを一気飲みして立ち上がった。 「ありがとう。行ってくる」 「ん。行っといで」 胸がいっぱいで何も言えなくて、でも動かなくちゃいけないような気がする。 両手をぎゅっと握りしめて、私は彼の学校へ向かうバスに乗り込んだ。
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