misty blue roses 01


　誰もいない教室に、ただ一人呟くように歌う人影。
　携帯に唇を寄せて、まるで愛を囁くように彼は歌う。
　この切ない独唱のたった一人の観客、それが私だった。

　気づいたのは一ヶ月前。下校のチャイムが鳴っても数学の先生の熱心な指導が続き、終わったのは十七時半過ぎ。体育系の部活以外は活動を終えて帰り支度をしている。クラブハウスから出てきたクラスメイトと挨拶を交わしながら教室のドアへたどり着くと、中から微かな歌声が聞こえてきた。
　驚いたのは、その声が聞き覚えのある声だったこと。
　県内有数の進学校といわれる夕が丘高校だけど、部活動もとても盛んだ。成績の良い生徒が練習のきつい部活に所属していることも珍しくないけれど、珍しく私のクラスには音楽部に所属している人はいなかった。そして、合唱部は長らく休部扱いになっている。私は芸術選択で音楽を選択しているけれど、授業内でこの声を聞いた覚えがない。
　声の持ち主に思い当たり、私は口を押さえた。
　『Fly a' way』。
　この近辺で話題になっているインディーズバンド。中性的な声とルックスのヴォーカル、長身のギタリスト、奇抜な形のメガネのベーシスト。彼らの曲を作っているのはキーボード兼コーラスを務めるヨウなのだと、熱狂的なファンの由利華が言っていた。彼女が半ば押し付けるようにして貸してくれたＣＤのコーラスの声。高音になると細く掠れる切なさを呼び起こす声に似ている。
　似ている、というより、そのものだ。
　聞こえてきたメロディも、ＣＤの中に入っていた曲と同じ。
　英語で歌う歌詞の意味を知りたくて、ＣＤを音楽プレイヤーに落として何度も聴いた。紙に書き取って辞書を引く作業は、授業の予習の百倍は楽しかった。
　『misty blue roses』。
　どんなに手を伸ばしても届かないひとを想い続けてしまう悲しさを歌った曲。
　 　いつもは力強く歌うヴォーカルの声が抑えられており、コーラスの切ない歌声が心に響いてくるような気がして、私はこの曲が一番好きだった。
　ドアの隙間から漏れる歌声は、続けて私の知らない曲を歌いだした。
　そっと覗いてみると、クラスメイトの今沢彷徨が携帯に顔を寄せていた。
　まるで映画のワンシーン、恋人に愛を囁くように。
　体を乗り出してしまった私はお決まりのようにバランスを崩し、教室の床に顔面から叩きつけられた。
　同時に鉄面皮で有名な今沢彷徨に盗み聞きがバレ、「お前最低だな」というお言葉を賜ることになってしまったのだが。

END.
2008.07.31
タイトル部分に「あんずもじ」を使用しています。

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